奈良・甘樫丘中腹で塀跡発見、丘の上の蘇我氏邸を示唆?(産経新聞)

 古代史最大のクーデター「乙巳(いつし)の変」(645年)で滅んだ蘇我(そがの)蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)中腹で、7世紀の塀跡とみられる柱穴列が見つかり、奈良文化財研究所が18日、発表した。塀跡は、蘇我氏邸を囲った「城柵(きかき)」(日本書紀)の可能性があり、奈文研は「丘陵上部にも何らかの施設があったことを示唆する重要な発見」としている。

 奈文研が平成17年から調査している「甘樫丘東麓遺跡」の背後の斜面で、丘陵のすそから約10メートル地点を平らにし、丘の上部を区画する柱穴列を発見した。

 柱穴列は約10メートルで、直径25〜30センチと推測される大きな柱穴3基の間に細長い溝が掘られ、直径10〜15センチの小さな柱穴が密に並ぶ。柱列を土やわらで固めて壁にする朝鮮半島がルーツの大壁建物とも似た珍しい構造の塀という。

 日本書紀によると、皇極天皇3(644)年、蝦夷と入鹿は甘樫丘に家を建造。蝦夷邸は「上の宮門(みかど)」、入鹿邸は「谷(はさま)の宮門」といわれ、家の外には「城柵」を作ったとする。

 塀跡の内側には、飛鳥の宮殿跡が目の前に望める平らな尾根があり、「上の宮門」の立地にふさわしいロケーション。奈文研の担当者は「蝦夷邸があった可能性は十分に考えられる」と話している。

 現地見学会は、20日午前11時から行われる。

【関連記事】
鮮やか銀象眼大刀柄頭 大阪のシシヨツカ古墳で発掘
蘇我入鹿邸の「城柵」か 甘樫丘東麓遺跡から新たな石垣
中大兄皇子と鎌足が出会った「槻の樹の広場」一部か、奈良・飛鳥寺西方遺跡
大和三山 中大兄皇子の歌と「美しき誤解」
「国思う心」が難局を動かす
20年後、日本はありますか?

鳩山政権 09年度予算を検証へ 参院選へアピール?(毎日新聞)
女性触った職員を懲戒免職=NHK(時事通信)
再生機構、ウィルコム支援を決定=日航に次ぎ2例目(時事通信)
中国人学生が線路に転落、列車通過も無事 東京・上野駅(産経新聞)
小沢氏、普天間移設「党はとやかく言わない」(産経新聞)
[PR]
by tgrasrd8y1 | 2010-03-19 07:00